ChatGPTに思うこと

ChatGPTが、最近世の中で話題となっているようだ。興味がないわけではないが、まだ私は自分で触れたことがない。今日、モノモノしい表題のコラム(以下にリンク)を見つけたので、さっと見てみると、ChatGPTの文章は「スルッと頭に入ってきてしまう」という記述(2ページ目)に目が止まった。そのほかにも色々論点はありそうだが、筆者の意図と異なり、私が興味を持ったのはここだけだった。

「ChatGPT」に浮かれる人が知らない恐ろしい未来

https://toyokeizai.net/articles/-/656682

このコラムを見て、ChatGPTの特徴は「それっぽい構文と、それっぽい証拠」で、人間を納得させてしまうテクノロジー」だと私なりに理解した。そのテクノロジーは、膨大なサンプル(人間の応答)のビッグデータを元に日々更新されている。おそろしや。つまり、人が納得し「なるほど」と理解するためには、フォーマット(構文)がとても重要だと言うことだ。逆に言えば、フォーマット(構文)がしっかりしていれば、人を納得させ「なるほど」と理解させることは、容易だ(AIができてしまう程度に)ということだ。

学術論文の世界では、次のような皮肉がある。

いくら画期的なアイデアを提案していても、学術論文のフォーマットに沿って書かれていないとゴミ(不採用)だが、逆に、ありふれた主張ても、学術論文のフォーマットに沿って書かれていれば、良い論文として評価される。(だから、ちゃんと論文らしく書けよ)

そうであるがゆえに、学術論文の世界では「ありふれた主張」=挑戦や冒険しない、過去の論文に付け足しするような論文が増産され、そういったスタンダードを崩す論文は採用されにくくなりがちである。もちろん、それらの研究の価値がないと言いたいわけではないが、私の専門領域である「リーダーシップ論」はその典型であるように思われる。

学術論文のフォーマットに慣れるまで相当な年月を必要としたことを、書きながら思い返している。ああ、どれだけゴミを書いただろう。

おっと、記事の本筋から完全に外れてしまった(笑)。

AI がいくらがんばっても、人の感じ取り方は、実際のところ、人それぞれだ。相手の思い通りに読まされないようにする人間の力(不合理を是とする人間的な感性?)も、AI が席巻しつつある世界において、今後ますます必要な気がする。

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