「反面教師」について考えたり、人と話をしたりする機会が最近多かった。



「反面教師」は、文字通り、そのまま参考にしてはならない対象、NLP風にいえばモデリングの対象にならない人とでも言おうか。



時々、「この人は・・?」と頭を傾げたくなる人と出くわす。
そういう人は、自分らしさ(かなりいい表現)を発揮し、周囲に「どちらかと言えば」悪影響を残しつつ、自分はそれに気付いていない。
もちろん、多かれ少なかれ、私にも影響を与える。
時に、不快になり、
時に、否定したくなるような衝動に襲われる。



そんなとき、最近は、一度「場」から外れて、第3者的な最上雄太を起動するようにしてみている。いわゆる、デソシエイトのステート。



そのようなステートに入るためには、いまの感情を置いておき、
リラックスを導く必要がある。
フォトリーディングで使う「高速学習モード」と同じような状態がそれに近い。



そうすると、どうなるか。
大抵は、その「反面教師」が自分と接点を持った自分にとって肯定的意図は何かを考えられるようになる。
そして、肯定的意図は最低3つは発見できる。
どんな場合にでも。だ。



そうすると、面白いことに、「反面教師」に対して凄く「ありがたい気持ち」になる。
むしろ、感謝したくなるような感情さえこみ上げてくる。



何かあったその瞬間に、その対象(人)に対してすぐ感謝するのは無理だが、
ほんの数分待つことができれば、結果として望ましい状況が出現する。



そして最近思うのだが、
反面教師は、自分の「影」である可能性があるのではないか?と。



ユングの本を立て続けに4冊読んだ影響からかもしれないが、
人は誰でも2面性を持っており、明るい側面の反対側には、暗い側面が無意識レベルに存在しているという。それが「影」の存在。



そのような「影」存在に気付くために、その人が「反面教師」として現れていると考えたらどうだろう?
「影」と「シンクロニシティ(共時性)」を掛け合わせて考えると、色々な出来事には実は偶然はなく、必然の輪の中で動いているかもしれないとすら考えたりする今日この頃。



しかしそのような「反面教師」にすらなれない人も、確かに存在しているような気もする(笑)