いま私の頭の中には、鳥の声がアンカーとなって、リソースフルな状況が「むすびつけられる」ようになっている。



最終日、パートナーの好意に甘え、
セミナーワーク中に未完了に終わっていた「旅」の続きを行った。



木々に囲まれ、鳥の声を聞きながら、自分と向き合う。
時々いたずらする、雨や風が、私へのメッセージ?と感じながら、タイムラインを進む。



未来から観る。
未来からふりかえる。



本当に必要なことは何か、
自分にとって大切なことは何か、
そして、自分は何をする人なのか、、、、



そのような問いを続けていくうち、最終的に「修行」という言葉がでてきた。
雨に打たれながら、自問自答する自分の姿が、その言葉とオーバーラップする。



個に対する感性を研ぎ澄ますうち、
ふいに、自分をとりまくものの存在に気づく。



個(=自分)とは、自分をとりまくものを意識することにより、健在化する。
個は個であるために、全体を意識する必要がある。
そして、全体は個の集まりである。
これが全体性の内実か?



クリスの言葉が、頭の中によみがえってくる。



私に力を与えてくれる鳥の声が、
「そうだよ、その通りだよ」と言っているようなきもするし、
「そのレベルでわかった気になるなよ!」と警告してくれているような気がする。



いずれも私を前にすすめてくれる、リソースは、
鳥の声とともに、蘇らせることができる。
昨日下界?に降りてきて、やったことは、鳥の声が入ったCDを買うことだった。



いまもそのアンカー(鳥の声)をつかって、PCに向かっている自分がいる。