亀田興毅の会見をライブでみた。
謝罪会見というのに、遅刻してしまうとはなんたる不幸。
背広姿をはじめて見た。



着くなり、たどたどしい言葉で謝罪する。
フラッシュの閃光が、途切れることなく、ひかり続ける。
そして、実の父の行為について、執拗に問いただされる。



父は、言ったのか?言わないのか?
反省している、では納得できない、Yesなのか?Noなのか?
その言葉を拾いたいがために、尋問は続く。



会長が横槍を入れるも、問いは続く。
そして、一挙手一投足のシーンをフラッシュが追いかける・・・



人を威嚇しつづけてきた、彼の姿はここにはない、
歳のままの、あどけなさが残る、青年がそこに立っている。
いま彼は、何も身にまとっていない、無垢の子供のような表情をしている。



その空気、光の嵐、そして、親愛なる人に疑念を抱く人間達の視線と言葉。
その時、彼に何が刷り込まれるのだろう。
傍でみていると、非常に危険な状況である。



あまりにも刺激が強すぎる、あまりにも過酷すぎる。



彼らが実際やってきたこと、人を傷つけた言動などを擁護するつもりはさらさらないが、
「人権」というレベルで考えた場合、あの状況はいかがなものか?
と、途中で観るのをやめてしまった。



それもまた、彼の宿命なのだろう。



一家の長としての自覚を得るための、非情なる洗礼。
この光景は、必ず深層心理に刻み込まれ、これから苦しむことになるに違いない。



しかし、この試練を乗り越えることができれば、
初めてのこのような挫折を経験することにより、
彼は強くなるかもしれない。と予感させた。

この傷を、すぐに修復してはいけない。
この傷は、彼をいままでとは全く異なるステージに引き上げるための、タフな試練なのである。容易にこれを忘れたり、転換することは、重要な機会を逸することになるだろう。



少なくとも言えるのは、
この先の展開が期待できない、父親の腰の抜けた謝罪を観るよりも、
よっぽど意義があったということだろう。
おおくの人は、いまの父親の顔を見たいとおもっただろうが、
たぶん今彼は、自宅でビールを飲んでテレビを見て笑っているような、そんな気がする。



むしろ、今後の亀田興毅に注目してみたい。