月・火・水とある組織の研修だった。
昨年も開催され、今回は参加者を換え2回目の研修会。



内容は、ファシリテーションと問題解決を合体したもの。



本質的な議論をするためには、ファシリテーションの技術は必須であり、非常に親和性の高い組み合わせとなっている。



参加者は20代~50台後半までの幅広い方々。
全国から集まってきており、さまざまな背景をもっていた。



今日は最終日。



最近、研修の締め言葉は、計画したことではなく、
その場で感じたことをそのまま伝えるようにしている。
(ちなみに、研修全般でその傾向になってきたが・・・)

今日出てきた言葉。



◎ファシリテーション自体を目的としてはいけない
本質的な議論にファシリテーションの技術は不可欠だが、ファシリテーションそのものが目的となってはいけない。
あくまでも、問題解決(ビジネス)とか、明日からの自分自身の業務に役立てるためのツールの一つと位置づけて欲しい。



◎ファシリーション(ファシリテーター)の敵は"評論家"
ファシリテーターとして、常に対峙しなければならないのは"評論家"である。
それは、チームにいるかもしれないが、
一番存在を意識しなければならないのは、自分自身の中にある"評論家の芽"である。
つまり、自分達自身が"評論家"になっていないか?ということ。



"評論家"の特徴は
・誰かがしゃべった後に、でも・・・しかし・・・いや・・・という口癖をもっている。
・前例がない、やったことがない、昔似たことをやって失敗した。と簡単に言う。
・上記発言をすることで、積極的に参加していると思い込んでいる。
・自分の存在が、周囲にどんな影響を与えているかを、まったく自覚していない。



"評論家"を退治(対峙)する一番の方法は、
勇気をもって、
「で、あなたはどうしたいのですか?何ができるのですか?」と問いかけること。
つまり、自分自身に対して、
「私は何をしたいのか?何ができるのか?」を、問いかけること。だ。

その問いを持ち続けることによって、ファシリテーターは、自分の中に芽生えようとする"評論家の芽"を摘み取り、
チームに寄与することができるのだ。
つまり、誰かをどうかしようとする前に、まず自分がどうなの?ということ。
この一言に尽きる。



これは自分への問いかけである。
なぜそれをやっているのか、それにより何を得たいのか。
常にそれを念頭に置き、生きよ。ということを自分に確認しているような、
話しながら、そんな気がした。



他者に影響力を及ぼそうとするなら、まず自分を鍛えることである。
ファシリテーターでも、コーチでも、スキルを学ぶ前に(学ぶなら)やらなければならないことがある。その重要なステップを飛ばして、他者に影響を与えることはできない。



しかし、人前で話すことは非常に勉強になる。
しみじみと感じながら、ひさびさにブログ(自分)に向かう。