女性ジョッキー(競馬騎手)への、厩舎の男性調教師からセクハラのセクハラ訴訟事件がとりだたされている。
注目すべきは、被害者であるジョッキーが、訴訟を取りやめにしたこと。



「レースに勝ちたい、もっとうまくなりたいというのがわたしの思い。時間と労力を訴訟ではなく、馬に乗ることに使いたい。心が折れたわけではなく、これからの自分のため」という。



まさに自分の足元が見えている。
自分がいま何をすべきか、何をする人なのかがよく見えていなければ、
憎悪や不快感、怒りが優先され、このような行動は取らなかっただろう。



彼女の大切なことは、勝つこと。
もちろん、屈辱的な行為は受け容れられるものではないが、
そこに使うコスト(訴訟への時間・労力・感情)を使うものと、本来の目的とは比較にならない。という判断。



この手の話題に、マスコミが騒ぎすぎたから、という背景があることは否めないが、
彼女の価値観の中で、優先すべきものが明確であったことは確か。
一時的な感情よりも、信念を優先したとう好例だろう。



しかし、全裸で立ちはだかり、お前も見せろ。はないよな(笑)