野村克也野村克也氏『わたしの履歴書』に学ぶ‥



日経新聞の名物コラム『私の履歴書』が今日(6/1)から、

元南海、監督としては阪神タイガース、ヤクルト監督などで有名な野村克也氏となりました。



何気なく電車で新聞を読む中そのコラムに目がとまったのですが、

なかなかどうして、おいしいことが一杯書いてありました。


第1回の内容で印象的なことばは、

『人間は恥ずかしさをしることにより成長するものだ』

という一節です。



なにげない言葉ですが、すごく深い言葉に感じられます。

野村氏は、思い通りにいかない状態を恥と感じるからこそ、がむしゃらに練習するし、

工夫しようと考える。そうした努力によって一段づつ階段を上ってきたと自分の野球人生を振り返っています。



ここから感じたのは、「いまの現状を自分軸で捉える(うけとめる)ことの大切さ」です。



普段の自分の生活を省みても、なにかうまくいかないことがあったりすると、

つい、言い訳や、誰かのせいにしたりすることがあります。

でも、この行為は自分の成長にはつながらないんですね。



恥ずかしさを知ることとは、自分の非を認めることですが、

それは、他人のせいにしたり、自己弁護したりすることとつまり「他人軸」と対極にある考え方だと思います。



問題の本質を「他人軸」で考えることにより、「自分軸」から遠ざかります。

つまり、解決のイニシアティブは他人に預けられることになりますので、

自ら解決を拒否することにつながるということになります。

結果、問題が解決しないばかりか、この問題解決による自己の成長の貴重な機会を喪失することになってしまうということです。



何事も自分軸で考えることの重要性を、恩師が度々主張していることを思い出しました。

他人を変えることは、容易ではありませんが、

自分を変えることは、今日からでもできるのです。

動かないものを動かすことほど難しいことはありません。





「なにごとも自分の努力により解決できる」と思うことにより、問題は問題でなくなるのです。

問題の把握とは、現状をそのままうけいれることであり、

これを誰かの責任問題として考えることではありません。



つまり、現状の把握とはすなわち「自己認識」することにほかなりません。

このあたりを肝に銘じる必要があることを再確認させられました。



野村克也氏といえば、サッチーこと恐妻の印象がどうしても強くなりますが、

彼のコラムを読み、その博学さ、洞察力の深さには叫喚させられました。

その文章には知見があふれており、これからしばらく追いかけていきたいとおもいました。



引用は20050601日経新聞『私の履歴書』より