「悔しさは個人にしか残らない」のはなぜ?
ある近しい人から、ナゾかけが到着した。
「悔しさは個人にしか残らない。」のは?
上記の意味するところは何か?・・・・・
メールで返答した内容を掲載する。
まず
分析的な解釈として・・・
悔しさとは、個人の地図に起因するものであるということ。
個人の地図と現実とのギャップの性質によって、悔しいと表現される。
個人の地図は、ユニーク(他者とは違うもの)なものであるので、
ある人が悔しくても、ほかのある人が悔しいとは限らない。
むしろ、悔しいとは逆のポジティブな感覚を得ることもありえる。
また、残るか、残らないか、は、当事者の<目的志向性>に依存すると考えられ
ます。
人の脳は、目的を持つことにより、無意識に関連する情報を検索する機能があり
ます。普段全く気になっていかなったのに、外車に興味を持つと、沿道に走る外
車の多さが目をつくようになるのが、<目的志向性>です。
つまり、気になることは、意識的にも無意識的にも、気になるのです。
悔しさが残るということは、その人にとっての<目的志向性>に合致しており、
ギャップによる空白を埋めようとする意識が働いている証拠です。
逆に、残らない場合には、<目的志向性>と重なる部分がすくなく、簡単に言え
ば、どうでもよい、という状態でしょう。
- この記事を書いたのは最上 雄太です。
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