P1000003今日、いつもの場所で川岸を妻と歩いた。

すると、妻が突然、川を見て・・・
「川は人生で、流れる葉は人だな」
そして、
「時々、訪れる滝や早い流れによって、一時は沈んだり、戸惑ったりするけど、その後には、落ち着いた流れになる」

ふむふむ、そのとおり。



そして、「平穏無事でいることが、何よりも幸せなことだよね」と続けた。

なるほど。川は人のメタファーそのもの。
川を見ていると、落ち着いた、穏やかな流れに浮かんでいるときが、一番「幸せな流れ」である。
しかし、その流れは、長く続かず、やがては、急に落ち込んだり、泡だったり、渦に巻かれたりする。

その流れに逆らうことはできない。
川を逆行することなど、できるわけがない。



吹きだまりのような場所に、留まることはできる、
しかし、その場の水はよどんでおり、生命としての強い営みを感じない。場所である。



葉(人)にとって、のぞましい場所はどこなのか?
それは、強い流れを超えた後にある、落ち着きのある暖かい流れ。
それを、幸せというのかもしれない。



その先には、かならず急な流れが待ち構えている。
それがわかっているからこそ、静かなその場所は、幸せとなる。

前後に、急な流れがなかったら、幸せをどう感じるだろう?・・・
そして、やわらかい流れのままだったら、幸せと感じるだろうか?・・・・
幸せを感じ取るためには、急な流れが必要。
そして、そのやわらかい流れを感じ取ることが、幸せ。

そんな話をしながら、川岸を散策(のぼり)し続けた。
なるほど、「平穏無事でいることが、何よりも幸せなことだよね」という冒頭の言葉の意味がわかってきた。



そして、いつもの桟橋近くの上流に近づいて、
上から流れを見下ろしたときに気づいた。

上から見ると、滝は見えなくなり、やわらかい流れの部分しか見えない!(写真)
これはすごいと思った。
真下に落ちる滝は、上からは見えない。
現在から将来をみたときに、おきるさまざまなことは、あらかじめ、見えないのだ。



しかし、目を凝らすと、
滝や急流の前には、かならず微小な警告とでも言うべきシグナルが存在していることがわかる。ややもすると、見落としてしまいそうな、わずかな「ゆらぎ」だが、危険を知らせるようなサインは、実は出ていることがわかる。



川はすごい。
いろいろなことを教えてくれる。
表題の方丈記の一節が、頭の中をくすぐっていく。
雨上がりの、少し濡れた匂いが、むしろ、いつもよりも自然の大きさを感じさせてくれる。



そして、桟橋に登り、足元を抜ける川をまた眺める。
そこで、気づく。
川に沿っているとわからないが、
ちょっと外に外れると、ありありと、その流れがわかる。
急なところ、落ち着いているところ、曲がっているところ。
客観視するとはことことだろう。
そして本当に、人は自分のことはよくわからないものである。



川は過去の流れがあって、現在がある。
そして、現在の流れを捉えずして、その先の流れをつかむことはできない。
過去-現在-未来というつながりの中で、あらゆるものは存在している。
そして、相互に関係しあいながら、個としての存在感を表出している。



今日は格別、川に学ばせていただいた。