昨日の平地トレーニングで、靴の当たり(つま先と母小球の違和感)があったため

靴を購入した登山ショップに相談に行った。

前購入した担当者と異なる方だったが

インソールと私の足の「合わせ」を行ってみて

購入した靴は、びったり過ぎる(=余裕が少しもない)という結論をすぐ出した。

あまりにもぴったりだと、靴の底がたわんだときに、逃がす場所がないため

つま先の方に負担がかかってしまうとな。

「と、言われても、どうする・・・」

いわゆるサイズ違いであるため、修理ができる内容ではないとのこと。

ああ。そういえば

購入時の担当のおっさんは、すごく適当で、

今やったような、インソールと自分の足の合わせなどはしなかった。

感触として、あってるか、あってないか、を尋ねられたが

余裕はないものの、ぴったりであることは話をしたかもしれない。

今日の担当者曰く、

「ぴったり」という表現は、人により違っていて、

我々がイメージしているのは、少し余裕のある「ぴったり」で、

本当に「ぴったり」ではダメなんです・・・

「そ、そんなことを今言われても・・・」

ああ。これで買いなおしか、と、若干あきらめが入りかけたとき、

「ちょっと、在庫を探してきます」と担当が話し

本来私の足に「ぴったり」な、靴を履かせてくれた。

「なるほど、これが"ぴったり"ね」と私

するとその担当者が

「このまま、この靴(合わないやつ)を履いて、痛い思いをして」

「折角、山登りをしようと思ってくれたのに、これで山が嫌いになったら、我々としても悲しいので」

「どうぞこの靴を履いて登ってください」

と言ってくれた。

「その後で、また面白くなったら、次の靴を買ってくださいよ」とも。

「ありがとうございます!!!」

その時は、自分にぴったりと合う靴に無償で交換できた喜びの方が大きかったが(正直)

交換することを決断した、そのための基準である「山が嫌いにならないように」は

素晴らしいし、通常できる判断ではないなと、後からつくづく感じた。

この店は、モノを売っているのではなく、(山のぼりと言う)体験を売っている。

そんな店で、買えたことをとても誇らしく思うとともに、

何か買うなら、絶対ココだな。と確信をした。

少なくとも

早く、この靴を履いて、山を登ってみたいという気持ちが湧き上がってきたことは確か。

不一致感のある靴で強行していたらどうなっていたことだろう。。。

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先を読む、未来を見据えること、はとても大切なことだが

それは、楽をしたり、好きなことを選択したりすることが、その本質ではない、

未来を見据えて、いま少しだけ我慢したり、不本意なことを選択したりすることが、

実はその先の、自分にとっての望むべき結果を生み出すために重要であることがわかる。

未来を見据えるために、厳しい現実をうけとめることも、時には重要。

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交換してもらって、とても嬉しかったことは確かだが、相手の立場に立てばすごい価値観を実行したことになるなと、改めて感心した。