昨日「ほめごろし」について触れたが、
日本の組織には、「言わないこと」を美徳とする隠された文化があるような気がしている。



普段誰もが気づいているのだが、
これを言ったら相手がどう思うかわからない、面倒が起きる。
そんな理由で、言わないままにしていること。

もちろん、何でも言えばよいということではない。



言ったほうがよい。という内容は、
『言おうと思っていることが、その人自身が気づいてないことで、かつ、それを聞き、気づくことによって相手にとって特に将来的にプラスになるであろうこと』である。
つまり、単なる個人的なうらみつらみや、くだらない情報の類のものとは峻別して考える。



ここで言うか、言わないか?は、
実は、相手のためというより、言う本人の価値観と、その人との関係性を表すものであると考えている。



つまり、
これを相手に言い伝えること(フィードバック)によって、相手が将来的にプラスになることについて、言う本人が心から歓迎できるがどうかが、判断の鍵となる。
そのためには、自己の価値観に問い合わせをして、それを行うべきか、否か?を判断しなければならない。



ここが難しいところである。



自分にとって利益があることを優先する場合、
たいていは、「相手が喜ぶこと」以外は滅多に伝えなくなる。
ましてや、それが重要なことであっても、相手が考え込んでしまうようなことは、「責任が取れない」ので、たいていは言わない。



そこまでのことを言いたくなる人は、肉親とか、親友とか、
そういう人に限られるだろう。
という人もいるかもしれない。

では、肉親とか親友とかに、きちんと正しくその人に必要な言葉をかけているだろうか?



フィードバックは、簡単なことではない。
自己の価値観に問い合わせをして、相手に対してコミットするという意味合いを持つ。
言うからには、自分はどうなのか?という問いに対して答える勇気を持ちつつ、
それでも相手に伝える。それがフィードバックの真髄である。



真剣なフィードバックは、かならず相互関係を生み出す。
つまり、言う関係を作るということは、言われる関係を作ることでもある。



人は自分のことは自分ではわからない。
そのときは、一時的に傷つき、考えることもあるかもしれないが、
長期的な視野で自分を支えてくれる、自分の思い込みに気づかせてくれる、そんな関係性を作ることが、何より自分を知るために必要なことだと常々考える。